何を思ったのか渋谷駅前で寝ていた。どこのホームレスやねん。当然のごとくバックパックがない。あれにはレジャーシートが入っていたのであった。面倒なことになったな。まぁいいか。それ以外には大したもの入ってないし。

会社では

眠くて死にそうである。寝不足と飲みすぎでぼろぼろ。しかしタスクは山積み。片っ端から処理。途中居眠り少々。いかん。ボスに外出許可をもらって近所へポッカの缶コーヒーを買出しに。こいつがあれば居眠りはない、と信じて買う。ちびちびやりながら仕事。

夕飯

さすがにいつものラーメン屋さんとかカレー屋さんでは胃にもたれて仕方ない。蕎麦は結構食すので今日はパスなのである。駅前でうろうろする。裏手に回ると定食屋があるのでそこで。あっさりしたものがいいいので刺身定食なぞ食す。あとはテクテク歩いて帰宅であるよ。

さて

今週土曜はTORGなのである。いい加減PCが前代未聞の強さになってきた。そういう事でそれなりのシナリオを用意せねば。候補は2つある。両方ともいい具合で練りこみが出来てはいるのだが、正直どちらでいくかはまだ決められない状況。でも今日中には決めないとな。

唐突にTRPGネタ

世の中には「吟遊詩人マスター」というのが存在しているらしく、これがダメなマスターの典型パターンとなっているようである。でも俺は最近「本当にそうか? 」とか思ってみたりする。例えば卓のプレイヤーが全員地蔵ならそれをやるしかないと思うので。

しかしまぁ

マスターだけが喋り続けるだけのセッションというのは終わってる。そういうマスタリングは叩かれてしかるべきだと思う。卓のプレイヤーが全員地蔵とかそういう非常事態ではともかく、普通の卓なのにそんなことすんな、であるよ。

大体が

WoDみたいにGMを「ストーリーテラー」と呼んでいるようなゲームでは、その「ストーリー」をプレイヤーとPCでなぞるのが普通になってしまうのである。FEARゲーの「ハンドアウト」っつうのもそうだろうよ。「GMが自分で持ってきたストーリーから全く逸脱させないことを強制する」のは吟遊詩人マスターとか言わないのかね。これは「『広義の』吟遊詩人マスター」とか定義できそうな気がする。どうか。

「『狭義の』吟遊詩人マスター」

これが「プレイヤーに喋らせない」または「PCの運用が極めて限られ、プレイヤーがロールプレイも全くさせてもらえない」という状態が常のマスタリングをやる奴、というのを言うのだろうか。こっちは本当にゴミクズ扱いでいいと思う。そういうのの大半は「奴ら」なのかもかもしれないとか思う。

それで

セッションのストーリーとPC像がある程度GMによって固定されているなら、それは多かれ少なかれ「吟遊詩人」という要素を含むのではないか、という事が言いたい。「狭義の」奴らは死んでいいと思うけどね。その「ストーリー」を完成させるためにPC(<もちろんプレイヤーも)が絡む状況、ロールプレイができるところを随所に盛り込む、あるいはその「ロールプレイ」というやつで、GMの想定の理想状態からは多少逸脱するが、ある程度そのGM想定内にとどまったままの状態でミッションをクリアできればいいのである。

そんなわけで

「自分のストーリー」を抱えている限り、GMはみんな「詩人」なのではないかと思う。PCとかプレイヤーに自分の思った通りにしかプレイさせないスタイルを「マスタリング」であるという勘違いをしているバカが問題なのである。こういうバカを指す「吟遊詩人」なる言葉はもったいないと思う。大体プレイヤーにほとんど喋らせないって時点で「奴ら」だろ。セッション(<TRPGにおけるゲームの単位)占有が許されるからね。それで「会話」という意味でのセッションまで全部持っていく、という行為が卑しいのだ。これは「奴ら」の会話と同じだ。GMという肩書きがあるから好き勝手できると勘違いしている、あるいは「会話」っちゅーもんをそれとしか知らないのかである。こんなもん全部「奴ら」である。