会場では
桜は7分咲き。なかなかよい。俺たち以外にはもう3組ほど花見チームがいたのであった。我々はがつがつと酒を飲みつまみを食す。しかしみんないろいろなものを持って来るのですね。楽しいのであります。
帰り
渋谷までは何とか出たのだが横浜行きの東急がもう無い。
出社
始電で会社へ向かう。ガタガタである。とにかく寒い。会社最寄り駅で立ち食い蕎麦など食す。辛子は多目。
会社では
眠くて死にそうである。寝不足と飲みすぎでぼろぼろ。しかしタスクは山積み。片っ端から処理。途中居眠り少々。いかん。ボスに外出許可をもらって近所へポッカの缶コーヒーを買出しに。こいつがあれば居眠りはない、と信じて買う。ちびちびやりながら仕事。
帰宅
幸い出社時刻が早かったのでフレックスがたまる。そういう事で早逃げかと思ったが、明日のタスク考えるともっとやるしかない。そういう事でやっぱり定時まで仕事である。つらい。
帰りに
たまには服でも買うかーという事になる。春ものが欲しいので。ズボンとジャケットを新調する。そろそろあったかいからねぇ。
夕飯
さすがにいつものラーメン屋さんとかカレー屋さんでは胃にもたれて仕方ない。蕎麦は結構食すので今日はパスなのである。駅前でうろうろする。裏手に回ると定食屋があるのでそこで。あっさりしたものがいいいので刺身定食なぞ食す。あとはテクテク歩いて帰宅であるよ。
実は
明日も夜桜見物になってしまったのだ。早逃げ準備をしよう。いろいろ調達するものもあるしな。
唐突にTRPGネタ
世の中には「吟遊詩人マスター」というのが存在しているらしく、これがダメなマスターの典型パターンとなっているようである。でも俺は最近「本当にそうか? 」とか思ってみたりする。例えば卓のプレイヤーが全員地蔵ならそれをやるしかないと思うので。
しかしまぁ
マスターだけが喋り続けるだけのセッションというのは終わってる。そういうマスタリングは叩かれてしかるべきだと思う。卓のプレイヤーが全員地蔵とかそういう非常事態ではともかく、普通の卓なのにそんなことすんな、であるよ。
「『狭義の』吟遊詩人マスター」
これが「プレイヤーに喋らせない」または「PCの運用が極めて限られ、プレイヤーがロールプレイも全くさせてもらえない」という状態が常のマスタリングをやる奴、というのを言うのだろうか。こっちは本当にゴミクズ扱いでいいと思う。そういうのの大半は「奴ら」なのかもかもしれないとか思う。
そんなわけで
「自分のストーリー」を抱えている限り、GMはみんな「詩人」なのではないかと思う。PCとかプレイヤーに自分の思った通りにしかプレイさせないスタイルを「マスタリング」であるという勘違いをしているバカが問題なのである。こういうバカを指す「吟遊詩人」なる言葉はもったいないと思う。大体プレイヤーにほとんど喋らせないって時点で「奴ら」だろ。セッション(<TRPGにおけるゲームの単位)占有が許されるからね。それで「会話」という意味でのセッションまで全部持っていく、という行為が卑しいのだ。これは「奴ら」の会話と同じだ。GMという肩書きがあるから好き勝手できると勘違いしている、あるいは「会話」っちゅーもんをそれとしか知らないのかである。こんなもん全部「奴ら」である。
いろいろと
考えると出てくるなぁ。「奴ら」に「吟遊詩人」などという言葉はもったいない。何かいい呼称はないものか。「奴ら」で十分な気もするけどね。
では
今日は体調がよろしくないので早寝します。