《居場所》なんぞあるはずがない

長々書いてますが、「《会話もどき》ができればOK」「自分は周りと同じだと無根拠に信じて安心する」「《自己否定》しなきゃいけない理由の考察はしない・する気がない」というのがある限り、《自分を受け入れてくれる人》なんて出てこない、もしくは見つからないのではないかと思います。「《ここ》はヲタのレッテルが貼られているからここでやるよん。安心だよ〜ん」というのは、《ここ》に用がある俺みたいな人種には迷惑でしかないのです。そして《会話》が必要と思う人は、そんな《会話もどき》しかしない生き物に、基本関わりません。やっぱり《ここ》にも《居場所》はないのよ。「ヲタだから弾圧されてます」などと思って居場所のなさを感じて、「それをどうにかしたい!」と思ってるのかどうかも怪しい連中が《群がって》来てるだけだという現状がありますよ。秋葉原駅前でDS持って立ってるだけの連中とか見てるとどうでしょうかね。TRPGでいえば、地蔵の多くはこれですね。《群がって》くるんだけど、それだけ。それでしかないから「基本使えないから優先度下げます」なんて言われちゃうのです。そもそも「地蔵」なんて名称はどうやってつけられたのでしょうか?…何もしないからです。ゲームをしに来ていない。人の集まる匂いを嗅ぎに来ているだけ。だから普通にゲームにならない。マスターとしちゃ来たら来たで「どうやってそいつにかける時間を最小化するか」みたいな事も考えなきゃならんのですよ。次からは警戒しますね。こうやって《居場所》というのはどんどん減っていくのです。「その無自覚さ」を何とかしろよ、と俺は思うのですが、どうやらそれは難しい注文かもしれません。