この辺がいまいちわからんところだと言うのは書きました。エロ妄想とかファンタジーとか、そういうものにすら自分の居場所がない。「自分」という要素を排除してる。自分で自分を抹殺しといてよく生きてられるな、と思うのですよ。つらくない?とつい思うけれども、それは大きなお世話なのかもしれません。が、ここでも「自分の欲望の把握」ができるようになれば、ちょっとはマシになるんじゃね?と考えます。「自分」を「なかったこと」にしたまま、というのよりは遥かにいいと思うのです。俺はあんまりそういう事がなかったので「当事者」という視点が薄いのが難しいところなのですが、「それじゃ絶対に《受け入れられる》なんてことはない」とは言えるのです。《自分でも受け入れられない自分》をどうやって他人に受け入れろ、という話ですよ。そこには「ややこしい事情」があって「わかってもらわきゃいけない」のであるよ。それを説明するという方向に行くんじゃなくて、ひたすら「現状維持」しかしない(そもそも「そういう現状」を認識できているか、という問題もありそうだけど)。それでは何にもならんでしょうと。おまけに、BLとかメジャーになったせいで、その「内実」が「説明しなきゃいけないんだけど省略してOK」みたいになってたりもしてますよ。そういう意味では大変な状態ですよ。ちょっと見た感じでは楽にはなっているんですが、それは「ジャンル」が増えただけです。ジャンルによるレッテル張りで済ませようと思えばできますが、それは「その人の内実」みたいなものを一切考慮してもらわないという事も意味しますから、結局「受け入れてもらえる」などという状況ができにくくなっているということです。それは当然「居場所なんてない」という事で、そんな絶望感だけが維持されることになります。