それはすなわち「適当」ということ

TRPGは割と自由なゲームです。そこには「言えばそうなる」という特徴があります。それを俺の言葉では「適当」といいます。この適当さが「TPRGの根本的脆弱性」なのです、というお話。適当だから、PCの持ち物は「誰も見ていないところで」書き込み可能。それを得た理由を聞きたがる人には、それこそ「適当な」理由をでっち上げればOKなのです。まぁ実際は「OKっぽい」というだけで、その場の人達はシラケますよ。能力値とか呪文のレギュレーションがおかしくなってるPCもいますねぇ。RQやってた時に、イェルマリオの司祭さんを持ち込んでくれたのはいいのですが、何故か《太陽槍》を3発持っているわけです。イェルマリオの大司祭でなければ《太陽槍》は持てないはずですが…。そしてプレイ中には「私のいう事を聞かなかったら《太陽槍》で焼いてやる」と、何をするにもPC(いや、PLだね)を脅してかかるというトド女(<PLね)がいて、他のPL達は苦笑しながらのセッション進行でしたね。そういう「紙に書いちゃえばOK」な事は「適当」だからできるんです。セッション中にいきなり「〜〜持ってる事にしていいですか」とご都合主義な事をのたまうPLがいる。いくら「適当」だからってそれはないでしょう。ひどいのはルール論争ですな。マスター判断がまともでも、平気で「それやめましょうよ」と言い続ける奴がいる(この事例好きだね俺)。そしてダブクロ等のように「ゴールデンルール」がある場合でも、平気でロールバックを声高に叫ぶ奴がいる。いくら「適当」とはいっても、PLの権限を超えた行いが許されるわけはないのですよ、と。TRPGはその「適当さ」のハンドリングでかなり決まるのに、無茶なハンドリングを要求されても困るのよ。システム的にこういう「適当」を大々的に許しちゃってるからなー。でもこの適当がないとTRPGじゃないですし。考えなきゃいけないところです。