そういう俺は

その昔、俺は小学生の時分にハードコアパンクを聴いて人生が変わってしまったのでありました。それからは「ファッション・パンクスとの戦い」というのがありまして。別に他人と何かあったわけじゃなくて、俺の中で「こいつらとは違う生き方をしなきゃ」という勝手な思い込みが常にあって、それがいろいろ対人コミュニケーションにおいて障害になってたのかなぁと思いますが、当時の俺はそれを「よし」としてたのでそういうもんです。「他人」っつうもんには、音楽関連では大体「ちゃんと『聴いて』もない癖にわかった様な口聞くな」って思ってました。元々10代後半という時分に、学校では「パンクを聞いてるとあんな風になる」と友人以外には言われていたものです。別に俺は普通に暴力を振るってたとか、そんなんじゃないし(そんな腕力も度胸もありません)。何というか「『わからないもの』には本当に蓋をしたがるんだなー」と感じてました。そういう自称「普通の人」が、流行物音楽に多少反抗的な歌詞があったりするともてはやす。当然「流行物」なので、かなりの数の人間も知ってる。でもそういうので出てくる「言葉」ってのは中身がないように思えます。少なくとも当時の俺にとっては中身がなかったんです。あいつらは「その中身」を時分で咀嚼せず、格好だけパンクスになったりします。インディーズ由来で「パンクロック」が注目されたら一斉にそれを聞く。それで「パンクになった気」をしている、と俺は感じてましたよ。でもそういう連中と俺は「パンクを聞く」という点で端からはひとくくりにされます。それがたまらなくイヤでした。当時もとてもガキでしたから、一瞬くらいは「殺すぞ」と思いましたがね。そういう方面はいろいろありました。終いにゃ「パンクロックというのは〜」などと俺に説教する奴まで出てくる始末であります。そして音楽の趣味においても、「パンク」以外の趣味に文句をつけてきます。曰く「パンク聞いてる奴が〜〜聞いてるのは理解できない」。「〜〜」にはYMOとか大瀧詠一とか佐野元春とかが入ります。お前がバカだから理解できないだけです、と今でも思います。人には取捨選択というもんがあるんです。それがわからないバカガキあるいは、初めから「こいつはやっぱりヘンな奴だ」という結論ありきの物言いをしたくてしょうがない奴ばっかりだったんですね。それは俺を「見下したい」というもので、その理由が「ヘンだから」。そういう連中が「人それぞれ」というのがわからないどうしようもないバカだと自分で俺に告白しに来てるわけですよ。「俺は俺。それ以外に何かあんのかボケ」という信条はそんなにヘンなのか。よくわかりません。でもそういう絡まれ方をよくしました。その当時の怨念じみたものが今でも少しはあります。よってこの段落は長いです。あしからず。