「オーラが見える」

ここでも散々「奴ら」にはそういうオーラが見える、というような発言をしてきている。それは今現在どうか、となれば「明確に《見える》とは言えない」なぁと思っている。その代わり《予測》ができる。それは《初めから》ある個体に対して「奴ら」かどうか、という検討をわざわざしなくてよくなったかもしれないと思っているということだ。確かにある程度の《予測》がきく。それは昔から変わらないけど、やっぱり「ジャンル」なのかなと思う。そいつが属しているジャンルから来る行動様式というのが見えればよいのだ。当然ながら「明らかに俺と合わない系統」というのがあるので、「決め付けても大丈夫」という場合を感じることができる。いつでもどこでも「友人と一緒でも」DSやPSPを取り出す若年層は、除外して大丈夫と思う。ズボンをずり下げてはいている人とは永遠に分かり合えないだろう事はわかる。サヨクじみた人は「とりあえず」でも敵と判断していいと思うし、「どんな音楽やりたいの?」という問いに「J-POP」としか言えない人と音楽関連について語り合うことは無理だ。例外はあるだろうが、こうやって「切り捨てて」大丈夫と思う。もちろん仕事とか絡めば別なんですが、「個人的な好き嫌い」が許される場所ではそういう選別をしています。それがよいのかどうか、という検討はしてもしょうがないのでしません。それは「俺の好き嫌い」なので他人から何を言われても、俺は困るしかないし、改められないからです。当然改めた証明もできません。