乱暴かもしれないけど

「他人の迷惑」にならなきゃ「そいつの内面」は《割と》どうでもよかったりとか思うのは乱暴すぎるかな、という意見をいただいたことがあります。が、俺はこう思っています。《割と》ってのは、やっぱり日頃から強い反社会的な思いを抱いていると、何かの時に噴出するのではと心配するからです。いくらエロい事がしたいと思っても、相手が必要な性的行いは「相手の合意」がなければ犯罪でしょうと思うのです。「相手の合意無しの一方的なのがいい!」と強く本気で思っている人が、突然「そういう事を実行できる」絶好の機会を得たらどうなるかと思うと心配ですね。まぁエロい事かどうかは別にしても《ヘンな趣味嗜好》、「うっかり外に見えたらとっても困る」思いはいろいろとあるわけですが、「ある人」が「そういうまずい思い」を持っている事を特定するのは難しいですよ(決め付けてしまえば別でしょうが)。だから「思うだけなら自由」と言われるのです。それに、会社なんかではいちいちそんな思想警察じみた事もやってられませんし。だから力を抜いて《普通に》してりゃいいのかなーと思いますが、どうやら簡単にそうもできないようです。《割と》と書いてるのはこういう事を考慮してです。