しかし

《精神的にも》居場所を確保できているかは別の話だなーと思っています。それで「BLとか百合」という言葉を出さなきゃならなくなったというわけ。俺は特に強くそういうのを志向してるわけじゃないから、薄い感想しか持てないですが、そんなもんです。しかし、BLというもんに関しては、昔に付き合ってた女性(所謂腐女子である)の言動などから「自分で自分を抹殺してる」人が結構な数いるんだな、という感想を持ってます。まぁこれはずいぶん前から指摘されているとは思います。俺程度が今更発見したものではありません。いくらでも都合よくできるエロ妄想の中すら自分が全然いない、というのはすごい事なんだと思います。ここまで自己否定しなくても、と考えるのですが、どうやら「そうせざるを得ない」事情というのがあって、その「事情」というの抱えた人が結構な数いるのかなと思います。その「事情」が何なのかは俺にはよくわかりませんので置いておきます。

いろいろ書きました

前回もよくわからないエントリでしたね。が、続きを書いていきます。テーマはもともと《居場所のなさ》だったりします。前回は、居場所がないなら《転進》しかねーなと思うし、実際そうやってきましたってな俺語りです。学校だったらいくらでも逃げられそうではあったので、そういう行動をしてました。仕事は「ヘンな奴だが、まぁ置いといてもいいかな」くらいでないとダメなので頑張るしかないですね。そんなんです。

長いので切りたい

ここで今回は切ります。元々は「BL」「百合」というジャンル界隈についてちょっと書いてみたかったのですが、前提条件を書くだけで精一杯ですよ。ひとつのエントリでまとめちまおう、というのは横着すぎですね。それにしても、何書こうと思っても、いざ書いてみるとTRPG周りでの「奴ら」話になっちゃう。これは「悪いものは悪い」と言ってるだけなので、毎回こうはしたくなかったりします。でもこうなっちゃうのが俺です。拙くて申し訳ない。ではまた。

TRPGでは顕著にわかるような気がするのだ

TRPGなんかだとその「受け入れてほしい」ってだけのものが「俺は支配者であるから当然受け入れろ」になっちゃってたりする。「お前はどんな欲求を持ってるの?」とここでも聞かれるんだ。寄ってこられた側はこう思うものなのだからして。その欲求が理不尽であればあるほど、受け入れ先候補は少なくなってくる。これがTRPGという「場所」にやってくる。「受け入れ人がいる」と錯覚して、あるいは「一時的になら受け入れてるのと同様の状況を得られる」と思ってやってくる。とっても迷惑ですネ。「TRPGという場所」には「同好の士」が集まるわけで決して「バカにわざわざ媚び諂いたいドM」が集まるわけではないという事を考えて欲しいですよ。まぁそんな事を意識できるなら「そんな奴」になってはいないでしょうけどね。

「人」と「場所」は違うぜ

結局のところ「自分を受け入れてくれる人」を探さないといけないのです。ここは「人」です。「場所」ではありません。この「人」と「場所」を取り違えるのが最悪だなと思います。だから他人と話をしなきゃいけないところでDSを出してしまう。TRPGで卓を囲んでも、積極的にゲームを壊しまくるので煙たがられる。挙句に俺なんぞに「奴ら」と呼ばれてしまう。結局求めているのは「人」なんでしょ?だったら「一緒にいる余地を持ってもいいなと思えるような人」になってくれと思うのだ。残念な事に「受け入れてほしい」とか思ってるのかもしれないけど、その欲求すら見えてないのが多すぎるような気がする。それじゃダメでしょと俺は言う。「同好の士」と認めてもいい人ならいいのだが、そうでもないのに何故こんな会合にでてくる?と疑問を持たれるようではダメなのである。「こういう趣味を語り合える人がいませんか」と探しまわる事が必要で、そのためには「自分の欲求」が何かわからないといけないんですよ。何が満足か?が自分でわからないと何にもなりません。

だから

「周りと違う生き物」であれば、自ずと周りとの親和性はありません。だからそう簡単に「受け入れられる」という事態はありません。でも、その「自分を受け入れてくれる余地のある人」を探し当てないことには始まりません。今からでも《他人》というものとは(多かれ少なかれ)関わらないといけないのです。まぁ「初めの一歩」を失敗して今に至る、という人はいっぱいいるかもしれません。前述の通り、俺も大失敗をしてきました。でも何とか「受け入れてくれる人」を探してきたのです。俺がいた「学校」では「そういう趣味」はまだまだ目新しく、当初は俺個人のことはどうでもよかったんだけど、それで知り合い、そのうち仲良くなれたという人もいたりしたんですね。その当時の親友以外では、学校での関係者ってことごとく音信不通だったりしますよ。ずっと居場所を学校の外に求めていたから当然なんですけどね。

俺歴史を語る

ガキの頃から《ヘンで当然》でした。何せ「周りと合わなくて当然」でしたから。「ハブられる」「ぼっち」でも関係がない、「ハブり上等」で生きてた経緯があります。それは今思い出すと「ぞっと」するような事です。何故そんな割り切りができてたのかが不思議ですが、《反抗する事》自体が目的になってたのかなぁと思います。流石に大学に行く頃にはそんな態度は取れませんでしたので、それなりになってましたが。当時から俺の趣味嗜好は、周りから見れば《ヘン》だったんですよ。電子工作・パソコン少年でTRPGやるしアニメは欠かさず見てたし、聴く音楽はハードコアパンク。ただし歌詞はあまりストレートなものではなかったため、言動が問題になる事はなかったのが救いですが。そういう「趣味」に加えて何かと反抗的な所があったらしく、先生方の間では「本当に扱いにくい」と言われていたようです。だから勉強はしてました。このくらいはやっておかないと「進学」する際の後ろ盾がなくなるからです。当時の俺には「進学先の確保」は選択肢として絶対に確保しなきゃいけないものでした。今はどうだか知りませんが、当時の先生方は名門校に何人送ったかを他校の先生へ自慢するのが生きがいみたいなところがあったので、勉強がかなりできた俺を手助けしてくれたのですよ。うちの親は、小学校入学時の最初の面談で「協調性ゼロ」と言われて相当焦ってたようですが結果オーライです。俺は俺で、後腐れなく実家を離れる事ができましたとさ。そんなもんですよ。まぁいくら「ハブられ上等」とは言っても、友人がいなきゃTRPGはできないわけですから、それくらいの極少数の親友がいたのが救いなんですけどね。俺の場合はそういう「結果オーライな事例」なのであんまり参考にはならないかもしれません。