現実逃避をする

M3用製作が重い。今日も02:00起きで作業してますよ。形振り構わずやってますが大変。Vocaloidまわりが修羅場。歌はともかくオケが地獄。いい感じにならないのは、もしかして「そういう方向の『いい感じ』」というのを知らないだけなのでは、などと思い焦る。途中でつらくなってきたので作業中断。これを書くことに。

「閾値が低い」

昔はよく友人に「新規の面子を(まゆげ犬に)紹介するのが怖い」と言われたもんである。「初見でファックユー」「見たらケンカ売る」「『そういう人』と一緒にjやるとわかったら黙って帰る」という、大変にある意味痛い行動をやっていたのであった。当時の俺は「そんなん面見りゃ一発」で他人様を「斬る」。辻斬り上等なバカだったのだ。面見て何が一発かといえば「奴ら」の臭いがわかるってなもんで、「斬る」のは自分の卓に入れないのはもちろん「俺に近づかないでくれ」という意思表示である。…そんな態度でしばらくやっていて、それはかなり(俺の中での)成功をもたらしてくれたのだ。だから今でもその「閾値」はギリギリまで低いと思われるのだ。こういう刺々しい態度は、昔よりはマシになったと思うけどね。

その昔のコンベでは

大きい都市でのコンベでは、最寄駅の場所と集合時間がわかれば、ほぼ100%で「会場までたどり着ける」のであった。「これは間違いなくコンベ行きの連中だな」と遠くから見れば「わかった」のである。これがまた何というか「わかりやすい」。もちろん「当時では」という条件がつきますがね。それがまるでRQでいえば、ストームブルの「混沌感知技能」であるのよ。これで「コンベで外さない」という事が結構簡単にできたりしてたのだ。だから当時からTRPGセッションでは、あんまり「挫折」の経験がない。だから他人に何と言われようと「そういう硬いスタイル」でやってたりしたね。今思えばかなり乱暴をやってたように思いますよ。はい。

その「能力」の肝は何か

この「わかる」のは何故か、というような自問自答を長らくやってたんだなぁ、と思い返す事が徐々に増えてきてますね。それはもちろん、俺が一時期同属だったからですよ。決まってます。「こうなっちゃいかん」と、かなり早いうちに認識ができたのは大きかったですね。だから「自分の中の『奴ら』を抹殺する」という行為が出てきます。それは同時に「目の前の『奴ら』」を斬る行為とセットでやってきます。「ああいう『ちょっと問題』な行動」の根源はそんなんです。

「閾値が低い」−その2

だからTORG@小田原では、小鳥遊さんに当然そういう指摘を受けた。今でも名残はあるんだな、俺のバカは相変わらずなのかな、等とも思ったり。幸いこっちじゃ大丈夫ですけどね。最近は「セーブする」を覚えた模様です。多分絶対的に体力が衰えたのではないかと推測されますな。「奴ら」相手に、何か言う前に「面倒くさい」というのが先に来る事が殆どだったり。でも俺の内部では確実に「選別」がされているのよ。これは条件反射なものでね。

リスクはでかいが、それでも役に立つ

この「選別」が入るので、プレイヤーやる時は絶対的に「あからさまなハズレ」を引くことが少ないのであった。昔から今までそうなのよ。この先もこうであって欲しいね。でもまぁ「俺が外した」という事態がある、という危険は常にある。「選別」で「『奴ら』でない人」を斬ったりな。今のところそれはないのでOKかもしれないが、今後は要注意である。特にここ最近は「ジャンル」が多様化して訳がわからない。でもそんな「俺に殆ど関係ない」ジャンルの勉強というのはバカらしい。その「勉強」は、本とかを読むだけじゃ絶対ダメで、直接面を合わせるような場にいかないといけないだろう事は予想に難くない。これではこの先の「選別の基準」は如何に? という事になろう。「この辺り」の事情という奴はややこしくなる一方なのであるからして。

でもね

その「『ジャンル』ってやつの組み合わせ」で何か判断できないか、と思える。その「ジャンル」の名前がわかればいいのかもね。昔に比べて、ずいぶんと「人間」ってやつが「画一化」してるようにも見えるし。じゃあ、ってんで割り切って考えれば「近づいていいところと悪いところ」が自然にできてくるでしょう。こんな風に思いますネ。この辺りは「相手の属しているジャンルがわからないと話のネタが全然ない」という事になってますからねぇ。それはずっと前からあったりもするので、俺の態度も「初見は探りモード」になってきてるのかな、なんてね。

それでは

相手の「ジャンル集合」が何であるかを探る事にするけど、それはその集まりの中での「会話セッション」で出てくる単語を拾えばよいのよ。そこで自分が発言できそうもない「全くわからない」というのなら、おとなしく撤退するとなしないといけない、というような判断はできる。そうやって「ジャンル名のタグ」というのを増やしていけばよいのでないか、とかね。それで面白そうであれば、そっち調べたりイベント参加してみたりできるでしょう。こうやって俺の幅も増やさないとね。他人様から学ぶ事は多いのよ(<当然かもしれないけど)。

「奴ら」を判別してみよう

こうなった今も変わらず、「奴ら」の選別がある程度できる。そいつの話す内容に「ジャンル:自分のこと」がやたら多く、そいつの発言が「どこからでも全く予測不可能な俺語りに通ずる」ように唐突に話題変えを行うとか、「会話できねーじゃん」というのが見えれば「斬り捨てる」という行為が選択できそうだな、とかね。俺が感じる傾向として、「奴ら」は「ジャンル:自分のこと」の話しかしなくて、TRPGならありそうなジャンル、例えば「特定のTRPGシステム」「関連するマンガとかアニメとか」…「自分」以外のものに疎いのよ。「薄い」という表現がしっくりきそう。で、その「自分のこと」も「こんな風に考えていますが如何でしょう」というトーンが殆ど無く、ひたすら「あった事の羅列」「本などに書いてあることを読み上げる」に終始してる。…そんなのが一番わかりやすい「奴ら」判定基準ですね。…どこまでを「安全圏」とするかは難しいですが、各人そういうのはあるのではないか、と思います。ここに書いたことは俺の場合ですけどね。何か参考になれば幸いです。

俺個人の昔の基準

「90年代半ば」とかそういう昔では、俺は「今で言う萌え物」「純国産ゲーム」というもので白黒つけてたような気がする。ただ国産ゲームだから悪いと言う気は全く無いが、俺みたいに当時から「RQ、シャドウランTORG」という洋ゲー好きだったりすると「英語じゃダメですからね」なんていきなしダメと決め付けられる事が大抵なのさ。そういう事をよりによって俺にわざわざ言いに来る奴、なんてのは数々いたわけですが、そういう類の発言を無邪気にできる、悪意が全くなくて俺に直接言えるってのはすげえ。そりゃ俺でも「未訳のサプリメントも使うから、ここまで作ろう」とか資料用意したりいろいろ頑張るのである。だからその種の発言には、ちょっと「俺にケンカ売ってんの?」と思ったりもする。…そんな奴に限って、そいつの卓では(典型的に)「ルールブックの説明を読み上げるだけ」「サイコロ振ってるだけ」だったりすると「やっぱりなぁ」とか思うわけですよ。…実例を挙げればキリがないので一例のみで終了。

じゃあ洋ゲーでは

英語アレルギーの連中ではなく、いろいろ洋ゲーやってる人達も沢山いるのね。そういう場所では「権威臭」がしたら終わり。これでは俺も通常「逃げモード」に入りますね。その「権威」っつうのが、曰く「『あの人』の許可がないとこのクラスはプレイヤーにやらせちゃいけなんですよ」等と寝言をのたまう。じゃあお前は何なの? と良く言ったもんである。その「あの人」ってのがデザイナーとか外人ではなくて「そのサークルにある日本人」なのね。例えば、東京方面に出張マスターやってた時に、時々噂で「あのサークルでは、代表に***のルールをコピーさせてもらえないうちは三下」なんて聞いたりする。本当かどうかは知らんが、こういうのは勘弁。怖いよマジで。で、それでコピーさせていただけただけのバカが、公式のサイトで「これを知らない奴は話になりませんよ」とか大威張りの書き込みをしたりするのである。俺から見れば「それ知ってるお前のマスタリングのゲームはは面白いのか?」という事をよく疑問に思ったものだ。そのコピーさせていただいた自慢の資料も、ちゃんとした正規品ルールブックで、値段は張るが俺でもeBayで買えたりするとか、大笑いだったりもするな。「マスタリングがいい」とかそういう技術とかそういうのではなく、日本人の中で小さいピラミッド作ってる。お前の信仰は勝手だが他人に押し付けるな、というのが俺のスタンスでありました。今もそれは変わらないと思いますがね。…今は分岐しすぎて訳がわからないが、昔には確かにそういう「権威付け」をやってるサークルや人がおりました。で、こういうのを国産ゲームや日本版が出た洋ゲーでやる連中がでてきたりもするな。大抵はデザイナー(まぁその筋の有名人ね)と「知り合い」とかいうだけで自分も大意張り。最悪。微笑ましいのはあるゲームのマスターやってた時に、一人が俺のテーブルに走って来るのだが、それは日本版基本ルールブックの「デザイナーの直筆サイン」を見せたいだけなのだった。限定ゲット乙。俺はその時の事は今でも覚えているよ。斬り捨て御免。辻斬り上等。

こういうのも

やっぱり「ジャンル」である。「権威主義」「相手の好みを判らないのに、サイン一つで大威張り」とかね。これの集合で、目の前の人間を選別するんである。最後には「俺の話を聞いてくれるか」「ゲームやる上で俺の邪魔になるかどうか」って事を導く指標だったり。