「居場所」というものについて

ヲタ界隈の人達と喋ってて嫌だなーと思う事の一つが、《独特な会話セッション》である。たまにはそういうのがあってもいいけど、毎回となると何だかなぁと。食傷気味ですよ。どんな話をしていても話題が飛びまくり、誰が何を言っているとかそういう把握ができません。俺なんかが何か言いたくても、それは最後まで話させてもくれず、話題が二転三転し、結局「俺らヲタ必死。しょーがねー」みたいな風になる。こういう時は心底「お前らなんぞと《話》とかできるとちょっとでも思った俺がバカでしたよ」と思い、凹んでしまう。まぁ「そういう人達」は、そんなんで凹む奴がいるという事を知らないか、わざと無視している。「それじゃダメだろ」と毎度思う。しかし、俺の話の内容に問題がないとは言い切れない。なるべく簡潔になるように努力はしているつもりだが、必然的に長くなる事はあるかもしれない。長い場合はしょうがない面もあるのだが、こういう場所では勿論「食いつかせないように」言葉を選ばなければならないのである。それが簡単にできれば苦労はしないのだけども。

Today's Tune: Revolting Cocks / (Let's get) Physical

じゃあ「そういうの」を打ち破るには何かないの?ということも考えたいです。正直、俺の中でもまだまだ形になってはいないんですが、この「Let's Get Physical」という言葉を使うとしっくりきます。「Physical」と言っているのは当然「肉体」も指しています。具体的にどうすりゃいいのかは見当もつきませんが、少なくとも「性的妄想で自分を真っ先に除外しないですむようにしようよ」とは言いたいです。自分の(「欲望」というものを含めた)肉体は自分のものなのであるからして。具体的にどんな方法でその「肉体」を獲得していくのか、は構想段階もいいところなのでまともな事のひとつも言えませんが、こんな事を考えています。別に腐女子のためじゃなくて、俺自身のためにね。

この辺がいまいちわからんところだと言うのは書きました。エロ妄想とかファンタジーとか、そういうものにすら自分の居場所がない。「自分」という要素を排除してる。自分で自分を抹殺しといてよく生きてられるな、と思うのですよ。つらくない?とつい思うけれども、それは大きなお世話なのかもしれません。が、ここでも「自分の欲望の把握」ができるようになれば、ちょっとはマシになるんじゃね?と考えます。「自分」を「なかったこと」にしたまま、というのよりは遥かにいいと思うのです。俺はあんまりそういう事がなかったので「当事者」という視点が薄いのが難しいところなのですが、「それじゃ絶対に《受け入れられる》なんてことはない」とは言えるのです。《自分でも受け入れられない自分》をどうやって他人に受け入れろ、という話ですよ。そこには「ややこしい事情」があって「わかってもらわきゃいけない」のであるよ。それを説明するという方向に行くんじゃなくて、ひたすら「現状維持」しかしない(そもそも「そういう現状」を認識できているか、という問題もありそうだけど)。それでは何にもならんでしょうと。おまけに、BLとかメジャーになったせいで、その「内実」が「説明しなきゃいけないんだけど省略してOK」みたいになってたりもしてますよ。そういう意味では大変な状態ですよ。ちょっと見た感じでは楽にはなっているんですが、それは「ジャンル」が増えただけです。ジャンルによるレッテル張りで済ませようと思えばできますが、それは「その人の内実」みたいなものを一切考慮してもらわないという事も意味しますから、結局「受け入れてもらえる」などという状況ができにくくなっているということです。それは当然「居場所なんてない」という事で、そんな絶望感だけが維持されることになります。

じゃあ百合は

「《そういう事情》を抱える男」が増えたのかなーとも思います。同じ自己否定でも、女性のものとは違うんでしょうけどね。それにしても「エロ妄想の補完は異性の立場で」って事には変わらないのかなと思います。まぁ男向けのはかわいい女の子がいっぱい出てきてキャーキャーやってればいいんでね?みたいな風潮でやってきてる、というのがあると思うので「そういう風潮のものしか受け付けなくなっている」という人達もいるのでしょうけど。こっちも「男が全く出てこない」妄想のみ通すという事をしないといけないのであれば、前述の腐女子と同じ状況なのかなぁとか思います。

俺が知ってるBL物

前述の彼女は、当時時々「そういうBLもの」を見せてくれたりしてた。男に読ませてどういう感想がくるか知りたかったらしいのだが、はっきり言ってそれは苦痛でしたよ。いや、別に「男として」とかそんな事は思いません。彼女の持ってきたものが、ことごとく陵辱嗜好で、また俺は男趣味ではないので辟易という具合だったいうわけです。そして「そういうもの」には女性キャラは一人も出てこないのが印象的でした。まぁそうなると「この人はどのキャラに感情移入して面白がるのだろう」というのが疑問になったりしました。その「疑問」とは、攻め/受けというような嗜好の違いではなく、「そこにいるのは全部男なんだぞ!女はいないんだぞ!」という意味において出てきたものです。「彼女」のエロ妄想の補完装置にも関わらず、そこには女が一人もいない。これが不思議でした。流石に直接聞くようなマネはしていません。それをやったら「いろんな意味で終わる」ような気が毎度したからです。

当然ですが

「ヤバイ趣味」であればあるほど、地下に潜ってコアになるもんですが、BLというものに関しちゃどうなんでしょうね。さっき用事があってAmazonで買い物をしたのですが、マンガの大分類でBLってありますね。「徹底的な自己否定しなきゃいけない」という「やむを得ない事情」がそんなにメジャーになっているとは思えないですが、まぁ「新ジャンルとして売れるから売ってます」で取り扱いがあるのかもしれないですね。そういうのがバンバンとメジャーになっていくと、「そういう事情」を抱えた腐女子の人は困るのではないでしょうかとも思いますが、そうでもないのでしょうかね。確かにメジャーになれば、「それ」を他人に説明する手間が省けます。ジャンルだけ告げれば、自分の内実というものには関係無しに、相手に把握されることが多くなります。初対面とかではなおさらでしょう。これでは「その場は安泰」になるのかもしれませんが、それは「内実を理解されないで」という事があるので、後で怖いことになりそうな気もします。

Today's Tune: INU / 「メシ食うな」

「俺の存在をー」ってやつね。改めてCDが欲しい。「そこまで自分の居場所を自分でなくして何が楽しいのよ」と思ってみたりする。「自分自身で抹殺している」というのが大きいですね。それでどうすんの?と思うわけで。それは自己否定でしかないから、最後は何らかの破綻が露呈して大変な事になるのは見えてそう。だから常に「現状維持」に必死になる事しか許されないのかなと。本気で「そういう事情」を抱えているのはお気の毒なのですが、多分そんな「ややこしい事情」を素直に受け入れてくれる人は少ないと思います。これには「多分」という言葉をつけないといけないのです。もちろん「そういう事情」を抱えていても結婚されている人だって少なくないと思いますし。ただ、何と言うか「自分と現実が剥離した状態」で現状維持はやばいと思います。何が言いたいかといえば「徹底的に自己否定している」状態じゃ、何をやっても充足は得られないでしょう、という事です。